D51715+D51390+貨3209レ+D51184 本務機+前補機が大カーブへさしかかる。
(御堂駅-奥中山駅) [680405]
D51+D51+D51+貨レ+D51 前補機2機、後補機1機による重量貨物の峠越え。
林に隠れた長編成貨物の後に後補機の排蒸気煙が見える。(御堂駅-奥中山駅) [680405]
D511+D51+貨レ+D51779 D511が前補機に就く。 沼宮内駅を発車。 (沼宮内駅) [680406]
DD51565+DD51532+貨61レ+D5117 DD51重連の貨物もD51の後補機で運用に就く。 (御堂駅-奥中山駅) [680405]
DD51+DD51+貨+D51
D51+C61+客レ
東北本線 D51,C60,C61[御堂駅-奥中山駅](1)
D51+D51+D51+貨レ
電化工事表示
DD51515+DD51+急客202レ「第1十和田(青森―上野駅)」
D51重連の間合いにDD51が運用に入る。 (御堂駅-奥中山駅) [680405]
D51715+D51390+貨3209レ+D51184 前補機D51の安全弁から蒸気を排出し蒸気圧は十分。
(御堂駅-奥中山駅) [680405]
DD51+DD51+客レ
D51+D51+D51+貨レ+D51 前補機2機、後補機1機による重量貨物の峠越え。
(御堂駅-奥中山駅) [680405]
D51+D51+D51+貨レ+D51 前補機2機、後補機1機による重量貨物の峠越え。 春の山風に、煙がそれぞれ乱れる。
(御堂駅-奥中山駅) [680405]
訪れた1963年4月は、既に電化工事がほぼ完成し架線が設置されてはいたが、勾配を行く排気煙で、心象的には見えなくなった。
貨物はD51重連または3重連+後補機が、客車列車はC60またはC61にD51前補機あるいは後補機で当たり前のように
ドラフト音を轟かせた。
また、コンテナ特急他客貨物には、DD51重連が運用に就いた。
訪問はかなりの強行日程で、筑豊線C55,D50,D60-呉線C59,C62撮影行から一旦帰宅し、
翌日に「御殿場線D52-磐越東線D60-平機関区-ここ東北本線-花輪線8620」の夜行列車の連続であった。
この撮影から半年後、所謂「よんさんとう」を境に、無煙化となった。
DD51567+DD51+貨52レ(第2北たから号)+D51
コンテナ重量貨物の上り「第2北たから号」はDD51仕業に就く (御堂駅-奥中山駅) [680405]
D51+D51+貨レ+D51
[沼宮内駅]
D51+D51+D51+貨367レ 朝早く奥中山駅に着き、「吉谷地大カーブ」地点へ向かう中、D51 3重連
峠越えが迎えてくれた。 (御堂駅-奥中山駅) [680405]
D51が待機する山間の駅に「東北本線電化工事」の表記 (---駅) [680405]
D51715+D51390+貨3209レ+D51184 峠越え直線区間、後補機の遠く白煙も見える。
(御堂駅-奥中山駅) [680405]
D51715+D51390+貨3209レ+D51184 後補機 (御堂駅-奥中山駅) [680405]
D51715+D51390+貨3209レ+D51184 そして後補機が、重量貨物列車列車の最後に。
(御堂駅-奥中山駅) [680405]
D51715+D51390+貨3209レ+D51184 大カーブをD51 3機で進む。 (御堂駅-奥中山駅) [680405]
D51+D51+D51+貨レ+D51
DD51+DD51+貨レ+D51
D51+D51+貨レ+D51
D51426+C6120+急客209レ「第4十和田(上野−青森駅)
急客209レは本務機C61,前補機D51で駆け上がる。 (御堂駅-奥中山駅) [680405]
D51426+C6120+急客209レ「第4十和田(上野−青森駅)」
C6120はその後修繕され復活を遂げた。(御堂駅-奥中山駅) [680405]
D51+D51+D51+貨レ+D51 後補機1機も峠まで力行。 (御堂駅-奥中山駅) [680405]
DD51566+DD51518+貨51レ(第1北たから号)+D51184 コンテナ重量貨物の
「第1北たから号」はDD51が担当 (御堂駅-奥中山駅) [680405]